ポケモン講堂

ポケモンオタクの戯言

ポケモンの才能

ポケモンの在り方についての記事。筆者がシングル勢だった頃に感じていた事そのままの記事が残っていたので、ここで公開する事にした。

以下原文そのまま

 

 

 

今ではすっかり変わり果ててしまったポケモンの価値観。そこに価値を見出しポケモンを続ける者や、複雑な仕様のインフレーションに着いて行けず辞める者もいる。

とある者は特定のプレイヤーを「才能がある」「天才」などといった表現で讃え、またある者は特定のプレイヤーを「才能がない」「下手」と罵倒し叩き潰す。

 

 

ポケモン才能は存在するのか。

 

 

人を讃えたり、罵倒した人はポケモンの才能の有無について真剣に考えたことがあるだろうか?

誰もが認める運要素が強いコンテンツに才能なんか存在しえるのだろうかを、この記事を通して考えてみて欲しい。

 

 

始めに知っておいて欲しい事として言っておく。

ポケモンは知能的ゲームではない。

つまり頭の良し悪しで対戦の強さが決まるものではないという事。知能や学歴は一切ポケモンの強さに関係しない。これを踏まえた上でも考察していく。

 

 

ー目次ー

 

 

 

択ゲーに強いとは何か

様々な場面で発生する択ゲー。 ポケモンをやっていれば誰でも経験は必ずあるだろう。特にダブルは無限に択を生む試合がほとんどである。

当然ながら「オンライン対戦」中は相手の顔が見える訳もなく、何を考えているのかも手に取るようには分からないものだ。

WCSに出場するにはジャパンカップで勝ち抜く必要があり、またそれに出るには予選での「オンライン対戦」を避けて通ることができない。

要するに「択ゲー」というのは、ポケモンをやる上では必ず直面する死活問題である。

相手が見えないのに択が強いとは何なのか

 

 

択ゲーに強いという概念はあるのだろうか

 

 

 

率直に言おう。ない。ある訳がない

ぶっちゃけた話、じゃんけんみたいなもんだろ

確かに経験がモノを言う場面もあるだろう。前回失敗して同じような場面が繰り返し来たら、その失敗を活かした行動をする。時には上手くいくかもしれない。

だが、オンライン対戦では「相手が見えない」「相手は同じ人間である」という事を忘れてはならない。つまり対戦する相手によって選択する行動がそれぞれ変わるという事であり、その上相手も同じ人間だから失敗を学ぶので、たとえ同じ場面だったとしても同じ手が通るとは限らないからだ。

上手くいって勝った択も、別の相手や再戦相手に対して2度も通用するとは限らないということ。不意打ちじゃんけんがいい例だ。

 

アナライザー(PGL規約違反行為)を使わない限り全ての択ゲーを制すことは絶対にできない。

よって択ゲーに強い人はただ単に運が良いだけ

 

 

 

民度問題

ポケモン界隈での権力(笑)の象徴であるかのような構築記事の流行。反省点をまとめ次に活かせるような自分用の記事や構築をシェアする目的など執筆する意図は様々だが、「自分は強い」という権威(笑)を見せつける事で得られる快感のために書いていることがほとんどだろう。

別に構築記事を否定している訳ではない。

むしろ「構築をシェア」することで現在の流行を把握でき、それを対策する事で新しいパーティがやや増えることから、環境の変化が多少は見込まれる。流行に対応する策を練るための手段とも成り得ることができる上、環境の循環が生まれるかもしれない。この点に関してはポケモン界隈にとってプラスになると考えている。

 

 

だが、構築記事の流行を悪用して、故意に権威を押し付けるような輩が最近になって多く見られるようになった。

自分の強さを存分に知らしめさせ、レート帯による差別をしたり、自分が正しいと言い張って、その世界観を無理やり押し付ける連中もいる。

たかがゲームなのにやってる事が陰湿すぎる。ただ楽しめばいいだけなのに、権力だの人権だの下らない世界観を押し付ける事に必死になっている様は見ているこっちが恥ずかしくなるレベルにも達している。

これが言わゆる「民度が低い」ということ

 

 

もっと言えば最高レートなんかどうでもいい。

ポケモンが強いからなんだっていうんだ。生きていく上で優位に立てる訳でもなく、頭が良くなる訳でもない。むしろ全く使い物にならない力だ。

ポケモンだけが人生じゃないだろう

 

冒頭でも述べた通り、ポケモンの強さは頭の良し悪しで決まる訳ではない。要するにバカでも強くなれるということ。

強いていうならここでいう才能は「対戦経験」と言い換えられる。失敗を重ねて「ポケモンそのもの」について学んでいるだけだろう。直感というものは「経験」があって初めて生まれる。

 

 

本当に才能なんて存在すると思うか?

 

 

 

ポケモンと将棋

ぶっちゃけこのテーマは「ポケモンの才能」についての話題から少し逸れる話になる。
自分は数年前から将棋初段を持っているのでこれを取り上げて語っていく。

この頃、将棋ブームによって将棋を取り上げてポケモンを語るやつがいる。逆も然り。何故かは知らないが、ポケモンと将棋を同一もしくは似ているモノと勘違いしているやつがいる。
そんなやつに言っておこう


ポケモンと将棋は完全に別物である

だから将棋を持ち上げてポケモンを語るな。
そもそも将棋というのは一手一手を数10分以上考えて打つものだ。「次の次の次の次の次の手...」と、かなり先の手や相手の一手も考慮に入れ、今の自分の一手がどのような展開になるかを自身でシュミレーションする。いわば頭脳戦。

このような事がポケモンには一切無いだろう。ポケモンは頭を使わなくても勝てるからだ

一方将棋は星の数ほどある高度で複雑な戦略を理解し、数十時間も対局する精神力も必要とする。

そもそも「運要素」が存在している時点で将棋と比較するのは大間違いである。
将棋は頭脳力、戦略力、精神力、思考判断力など色々な力が組み合わさって正面からぶつかり合う。「運要素」という概念が存在しない。将棋は非常に奥が深い。
潔く負けを認め、対局相手への感謝の心を決して忘れない棋士は人間的にも素晴らしく立派である。


一方ポケモンは何だ
運次第で左右されるゲームに何の魅力があるのか。急所、追加効果、思考停止の高火力(主にメガシンカやZ技)。戦うコマの皆無さ。(ここではあまり関係ないが民度の低さ。)

 

上記のテーマ以外の民度が低いといえば(一部ではあるが)、主に「運負け主張」や「対戦相手批判」、「誹謗中傷」などが挙げられる。

将棋界にこのような無礼な行為は一切ない

(※1 ここで民度の話を取り上げている理由は主題であるポケモンの才能と全く関係なく、ここで逸れた話題をまとめる為   ※2 青字の民度と、上記のテーマで取り上げた「民度」は若干種類が異なる)

 



そもそも冒頭でも述べたようにポケモンは「頭を使わなくても勝てる」ので、将棋とは天と地の差がある。


将 棋 舐 め ん な よ


将棋とポケモンを比べるのは非常に将棋に対して失礼である。今すぐ全国の棋士に謝れ

 

 

 

強いプレイヤーとは

毎シーズン結果を残す人とそうでない人。

この違いは一体どこにあるのだろうか。

色々考えられることはあるだろう。

 

強い「人」とかそんなものはどうでもいい。

ポケモンの強さが明確に現れるのは、パーティ構築力発想力(直感)、パーティ内のポケモンを自在に使いこなせる「経験値」にあると断言しよう。

ポケモン対戦の7割は構築力で決まると言っても過言ではない。ここで重要なのはいかに構築の欠陥性を無くし環境に適応した柔軟性のあるパーティを「自力」で組めることだ。

 

一体どうやったら構築力を身につけることができるのか。一つの意見として、ポケモンと真剣に向き合うこと、理解することではないのだろうか。

自分で使うポケモンをしっかりと理解し、特徴や長所をしっかりと生かす。そして後天的に培われた経験を生かす。この繰り返しが構築力に現れているのではないだろうか。

 

 

 

 

運と実力

上記でいくつか「運」について触れたので、ここで実力、才能との関係性について解説していく。

運に関しては宗教(例えば役割論理)の事もあるので諸説あるが、ここでは客観的に捉えて説明していこうと思う。

 

技の命中率や追加効果発動、急所など様々な場面で関わってくる運要素。これらによって試合を左右する場合が多い。

もっと言えばマッチング自体も運である。格下と当たり続ければ思うようにレートは伸びず、格上と当たればローリスクハイリターンで戦える。100〜200程度のレート差による実力差はあまり無いと見ているので、格上と当たった方が良いに決まっているだろう。

「運も実力のうち」という綺麗事がある。本当に運は実力と言えるのだろうか...

 

 

自分の意見から言わせてもらうと、「運によって左右された試合に実力差もクソもあるか」

自分でどうしようもできないモノ、そして繰り返し発揮できないモノは実力とは言えない。

 

「実力」

①実際に持っている力量。

②強い力量

③実際に行使されることにより示される力。(武力、警察力など)

 

「運」

①人知では計り知れない身の上の成り行き。巡り合わせ。

②幸せな巡り合わせ。

 ー辞書引用

 

「運」というモノは自分の力によって変わるものでなく、人知では計り知れない。つまり実際に持っている力量とは言えない。

はっきり言ってシングルみたいな1対1の殴り合いなんて運要素が極めて大きいだろう。これっぽっちしか現れない実力なんてほとんど大差は無い。「経験値の差」を実力差と勘違いしているだけだ。

 

 

「運」≠「実力」。言葉の意味通り不変の事実である

 

 

 

経験値とは何か

上記でかなり取り上げている経験値について説明。

まあ文字通りプレイングミスをしたり、読み負けした時に次は同じ事にならないようにしようとする努力が積み重なったもの。また、他人のプレイングから学んで得られるものが主に経験値と呼ばれる。要するに経験の度合いである。

(「経験値」という言葉自体ゲーム内の専門用語的なところがあるが、今の話題がポケモンについてだからこのような言葉を使わさせていただく。)

 

「じゃあ、経験は才能に成り得ないのか?」

 

 

ー成り得ない。

まず「才能」と「経験」という意味自体から考えるべきであろう。

そもそも「才能」というのは先天的な能力である。足が速い、記憶力がズバ抜けて良い、身長が高いなど。このような能力は生まれ持った能力であり、後天的に身につけにくい。

一方「経験」によって得られたものは後天的な能力の分類に当たる。主に日常生活、習慣、勉強などがある。

 

「才能」というものは生まれ持った能力のことであり、「経験」によって培われた能力とは正反対の力であるということ。

 

つまりこんな質問が浮かんでいる時点で論外であり、とてもナンセンスである。

 

もちろん「経験値=才能」なんて考えたことある頭の弱い人なんていないよな?

 

 

 

結論 

ポケモンの才能なんて存在しない。

 

要するに誰でも強くなれる。実力のある人と無い人の差は「経験」と「運」の有無にしかないと断言しよう。ポケモンの実力は所詮架空で偽物の能力であるということ。

膨大な経験を積み、そこそこ運があれば誰だって世界チャンピオンになることができるだろう。まあ、その「経験」を積む膨大な時間をポケモンに費やせる覚悟と余裕(笑)のある者だけがポケモン界の頂上に這い上がれるということ。やってられるか。

 

才能という能力が一つ足りとも無い世界で頂点に立って威張り散らしている者は何がしたいんだろうか。人に価値観を押し付けるのもいい加減にしてもらいたいものだ。そろそろこういった非常に愚かな行為に気づいて欲しい。

 

 

ポケモン勢が見栄を張り(例えば最高レートを盛る、架空の実績を作るなど)嘘をついてまで名誉を得ようとしているのも、このような実力主義から来ているものだろう。実績の矛盾が発覚し潰される者も、ある意味この下らない価値観に押し潰された被害者であるとも言える。

嘘を付いている本人が悪いのは最もであるが、100%その人に非があるとは思えない。絶対的実力主義の価値観、世界観を作り上げてきたポケモン界全体の問題である。もう、どうしようもない所まで実力主義問題が膨れ上がっている現状だ。

 

 

 

最後に

ポケモン界で結果を残すことよりも大切なことなんていくらでもあるだろう。

綺麗事のつもりではないけど、対戦相手への敬意を大切にする心だったり、ポケモンを通して出来た仲間や友人の方が遥かに価値があり、財産となる。ポケモンから学ぶ事もあるはずだ。

逆にこんな記事から学ぶものなんて何もないと思う。だが、これを通してポケモンという「新しい価値観」を自分だけで展開し、自身で新しい世界観を作るようにするきっかけにして欲しい。

「実績」や「強者」といった下らない価値観や重圧に縛られるのはもったいないじゃないか。

ポケモンなんか所詮ゲーム。楽しんだ者勝ちだ

 

 

ポケモン界隈がより健全で、誰もが楽しめるような世界になってくれる事を心から祈っております。

 

 

 

 

 

言いたい事を出し切ったので言葉遣いが荒いのはご容赦願いたい。