ポケモン講堂

ポケモンオタクの戯言

ポケモン対戦の薄っぺらさ

ポケモンは極論言ってしまえば、読み合い。

相手の読みに対しての回答を如何なる場面でも提示することができるような柔軟な構築作り、初動(〜中盤)だけで相手のプレイング傾向を理解をすることができる能力。この2つを備えて始めてプレイヤーとしての真価を発揮することができる。

 

それを身に付ける近道というか邪道なんだけど心理科学を勉強していた方がいいんじゃないだろうか

人間の心理に基づいて行動パターンを紐解き、こういうプレイングをしてるから次はこのような選択をするだろうなという根本的なメカニズムを最短ルートで把握しやすくなるかもしれない。後は読みに対しての回答を用意しておしまい。

 

次に、回答を複数提示できる柔軟な構築作り。個別的な対策ではなく、大まかにグループ分けをして、そのグループに対する回答を作成することで柔軟性を生み出すことができる。

例えば、物理はこれとこれで見る、特殊はこれとこれで見る。とか、典型的な構築に対する勝利の方程式を用意する、とか。あくまで例えだけど。最悪上位勢の構築パクればいいんじゃないか

 

ポケモンで勝敗を分けるのは、構築という土台の上で相手の行動に対する回答を用意できるか否かにある。といっていいかもしれない。相手が取る行動を把握しつつ、その回答までも用意しなければならないのだ。

相手の行動パターンが分かりさえすれば回答を用意するのは比較的簡単である。では、相手の心理に基づいた行動を紐解きやすくできる心理科学を勉強すればいいんじゃないかという理論に行きつく。

 

ここで、ポケモンというゲームの薄っぺらさに気づいたのだ。自分がやっていることは、結局読み合い命の宇宙大戦争みたいなものなのかな、と。

楽しみ方は人それぞれだとは思うが、無駄にプライドの高い自分には到底ついていけるようなゲームではないと感じた。